2016
01.23
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夜のジャズとソウルの薫り。静かなスリル。

BLOG, MUSIC

冷たい雨が降りしきる冬の夜。地下へつづく階段を降りて行くと、古い木製の扉が現れた。静かに押し開けてみると、1950年代のジャズが聴こえてきた。ちょうど正面にDJブースが見えたが、そこにDJの姿はなく、アナログ・レコードがターンテーブルの上で回っているだけだった。その演奏は僕にも聞き覚えのあるものだった。とあるトランペッターによるワンホーン・カルテットで、割と有名な作品のはずだったが、なぜかアーティストの名前を思い出せなかった。

 

店内は向かって右側にカウンターがあり、フロアには4人が座れるソファーと、同じく4人で囲むことのできるテーブルがひとつ置かれていた。客はカウンターに2人とソファーに2人。テーブル席には誰もいなかった。壁も天井も木でできており、扉と同じくらい古そうに見えた。それでも、掃除が行き届いているからか、清潔感があり、上下左右からも木が持つ暖かな温もりが伝わってきた。

 

僕はカウンターに座り、ビールを注文した。銘柄は覚えていない。外気で冷えた体に、よく冷えたビールはミス・チョイスだったかもしれないが、あの頃はお酒と言えばビールしか飲まなかったから、特に気にならなかった。まだ社会人になったばかりで、こういう店に来ることは少なかったし、ましてや一人で来るのは初めてだった。だから、僕は少し緊張していたのだと思う。マスターがカウンター越しに「今夜はライヴですが、よろしいですか?」と訊ねてきたとき、僕は「構いません」と答え、言われるがままにミュージック・チャージを支払ったのだ。

 

ビールを2杯飲み干し、話し相手もなく、時間を持て余し始めた頃、店の扉が開く音が聞こえた。スーツ姿の男が3人と濃紺のドレスを着た女が店に入ってきた。マスターがライトのスイッチを入れると、店の奥のスペースが明るくなった。漆黒の闇の中に、アップライト・ピアノ、ウッドベース、小さなドラム・セット、サックスが照らし出されたので、僕は驚いた。まったく気がつかなかったのだ。

 

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ほどなくしてライヴが始まった。女がピアノの前に座り、3人の男がそれぞれの楽器の前に立った。女が深く息を吸い込むのが、マイクを通して聞こえてきた。短い沈黙の後、絶妙の間をおいてピアノがつま弾かれ、女は歌い始めた。「ナイト&デイ」というスタンダード・ナンバーを、これ以上はテンポを落とせないくらいにゆっくりと。そして、ファースト・ヴァースを歌い切ったところで、ベース、ドラム、サックスがほぼ同時に演奏に加わった。その瞬間、空気が変わったのは明白だった。店全体が音楽に共鳴をし始め、その中には僕自身も含まれていた。そして、曲の演奏が終わったとき、僕はライヴが始まる前とはまったく違う気持ちになっていた。それは実にスリリングな体験だった。

 

エリカ・ギンペル『翼を広げて』を聴くと、僕はあの夜のことを思い出す。音楽がどのようにして夜を紐解いていくのかを、ありありと見せられた日のことを。このアルバムは、エリカが自分のバンドを従え、カリフォルニアのサンタモニカにあるイベント・スペース「Kula」にて行ったライヴ・パフォーマンスを収録している。小さな箱ならではの親密な空気と、スタジオ録音と聴き違えるほど完成された歌と演奏。それらが絶妙のバランスを保ち、エリカとバンドが熱とともに発した様々な感情~希望・悲しみ・慈しみ・高揚~が、見事な録音によって封じ込められている。ここで聴かれるのは騒々しい一過性の興奮ではなく、静かなスリルだ。いたずらに感情を煽らずとも、本物の高揚はいつまでも胸に残るのだ。

 

あの夜以来、その店には行っていない。今も店が存続しているのかも、あのとき演奏していた彼らがその後どうしているのかも知らない。でも、きっとそれでいいのだ。あの夜の出来事が想い出として残り、今も僕の心を暖めてくれるのだから。

 

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【DISC情報】

アルバム:『翼を広げて』(Spread Your Wings and Fly)

アーティスト:エリカ・ギンペル (Erica Gimpel)

価格:2,381円+税

ライナーノーツ:宮井 章裕

歌詞対訳:佐藤 幸恵

 

 

 

 

 

 

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