2016
03.25
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飯田華子エッセイ 「新宿」01

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2000年代初頭、新宿には砂漠がありました。

 

歌舞伎町を抜けると日清食品のビルがあり、その裏は一時期更地でした。ちょっとしたサッカー場くらいの広さだったと思います。私はそこを「砂漠」と呼んでいました。

グレたくてグレたくてたまらなかった10代の頃、私は無意味に歌舞伎町を歩いていました。

飯島愛の『プラトニックセックス』がヒットした時代です。不純異性交遊に家出にシンナー、なんて格好いいのだろうと憧れました。それに引き換え、私の毎日はドラマがなくて退屈でした。

学校の友達はみんな真面目でおとなしく、部活と勉強と好きな男の子の話しかしませんでした。狭い世界で満足し切っているようでイライラしました。

 

「あー!つまんねぇ青春!つまんねぇお前ら!!」

と叫んで暴れたいような気持ちでした。

 

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両親は仲良く、私は愛されて育ちました。そんなにお金持ちではないけれど生活に不自由を感じたこともない、日本の平均的な中流階級のティーンエイジャーでした。そんな自分がどうしようもなく不本意でした。もう、グレるしかないと思いました。しかし不良グループに属していたわけでもない私は、グレる方法がよくわかりませんでした。

 

「学校にも家庭にも居場所のなかった少女にとって、ネオンの街はあたたかかった」

とかいうモノローグってよくあるじゃないですか。それで、私も繁華街を歩きさえすれば悪くなれるんじゃないかと思ったのです。いっちょ街に出てみよう、そしてよくある非行の典型をなぞろう!と、鼻息も荒く歌舞伎町に繰り出したのでした。

 

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ちなみに、当時の若者が集うのは圧倒的に渋谷だったのですが、なぜ歌舞伎町にしたかというと、家から歩いて行けたからです。それに渋谷はあまりにも「若者の街」すぎて気後れもありました。新宿のほうがちょっとダサくて敷居が低かったのです。また、敷居が低いなりに危険な香りもありますし、椎名林檎のヒット曲「歌舞伎町の女王」のおかげで「歌舞伎町で遊ぶ」というのもなかなかステイタスに思えました。

 

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photo / Mami Otsuki