2016
05.08
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ビター・スウィートなメロディーを紡ぎつづける本物のピアノ・マン~ジョン・リーゲン(前編)

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ジョン・リーゲン。この同い年のシンガーソングライターと知り合ったのは9年前のことだ。当時、僕はインディーズ・レーベルを始めたばかりで、日々リリースすべき作品をさがしていた。世間ではほとんど知られていないけれど、生涯のスタンダードになりうる作品。5年たっても10年たっても古くならないエヴァーグリーンなレコード。そんな音楽を求めて、毎日期待に胸を膨らませていた。そんなときに出会ったのがジョン・リーゲンの『レット・イット・ゴー』だった。

ビターなヴォーカルで歌われる憂いを含んだメロディーが、心のひだに沿って沁み入り、忘れかけていた古傷をかすかに刺激した。オールドなピアノの響きからはアコースティックな温もりが伝わってきた。トリオ編成による演奏には統一された空気が漂い、ほとんどオーヴァー・ダビングされていないことを窺わせた。なによりもメロディーが素晴らしかった。切なくて、傷ついていて、自然と胸を締めつけた。ヴォーカルには苦い気持ちを吐露するような説得力があり、ピアノの演奏技術も申し分なかった。僕はできるだけ静かにこのアルバムに耳を傾けた。誰もいない部屋で。息をひそめながら。そして、最後の曲が終わって、大きく深呼吸をしたとき、自分が興奮していることに気づいたのだった。

 

経歴を調べてみると、ジョン・リーゲンは元々ジャズのミュージシャンだった。でも、それを知って意外に思うことはなかった。というのも、アルバム全体を薄いヴェールで覆っていたのは、ぼんやりとした灯りの中に浮かぶジャズの匂いだったからだ。ジョンは10代の頃からプロのジャズ・ミュージシャンとして活動し、30歳のときにはリーダー・アルバムもリリースしていた。また、ジミー・スコット(伝説的なジャズ・シンガー)のバンド・メンバーとして来日したこともあった。ジャズ・ミュージシャンとして順調にキャリアを積んできたジョンだったが、30代半ばを過ぎたとき、それまで書きためてきたオリジナル・ソングをまとめたミニ・アルバムを発表し、周囲を驚かすことになる。その内容がこれまでのジャズではなく、シンガーソングライターとしての個性を押し出したポップ・ミュージックのレコードだったからだ。この作品が好意的に迎えられたことで、ジョンのキャリアは大きく舵を切ることとなった。

『レット・イット・ゴー』は、ジョンがシンガーソングライターとして初めて制作したフル・アルバムだ。ジャズがジョンにとって重要な音楽的素養となっているのは疑う余地もない。しかし、実際、ジョンが幼少の頃より慣れ親しみ、血肉としてきたのは、ジャズよりもむしろロックやポップスだったという。そのことは、同世代のひとりとして、僕にも理解できる気がした。というのも、ジョンの曲を聴いていると、おそらく僕らは同じような音楽を聴いて育ったように思えるのだ。そして、なによりジョンにはソングライターとしての非凡な才能があった。ジョンが自らの声で歌い出すのは、きっと時間の問題だったのだろう。しかし、僕が『レット・イット・ゴー』に強く惹かれたのは、そこに拭いようのないジャズの匂いを感じたからでもあった。ジョンが長い時間を捧げてきたジャズが、ジョンの書くメロディーや歌の中に沁み着いていた。手法やアプローチの仕方ではなく、空気として存在していた。そのことが彼の音楽に深みを与えていた。ただのポップ・ミュージックではなく、ジョン・リーゲンの音楽として僕に響いたからだった。

 

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僕はどうしても『レット・イット・ゴー』を日本でリリースしたくなった。僕は才能あるアーティストへの敬意を込めて、ジョンにオファーのメールを出した。返事はすぐにもらえた。そこには細かい質問や条件が書かれていた。中には僕が考えるよりもずっと高い要求もあった。言葉の端々からジョンの野心が伝わってきて、僕を緊張させた。僕はそれらの質問にできるだけ丁寧に答えた。できることとできないことははっきりさせた。条件に関しては、どこまで譲歩できるかを正直に伝えた。何度目かのやり取りの後、ジョンからオファー承諾のメールが届いた。僕は胸を撫で下ろし、ジョンにお礼のメールを送った。返事はすぐに来た。そこにはローマ字で「ARIGATOGOZAIMASU(アリガトウゴザイマス)」と書かれていた。

2008年1月、『レット・イット・ゴー』が日本のCDショップに並んだ。それはうちのレーベル最大のヒット作となった。

 

〈中編〉はこちら

〈後編〉はこちら

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【ディスク情報】

アルバム:『レット・イット・ゴー』(Let It Go)
アーティスト:ジョン・リーゲン(Jon Regen)
価格:2,381円+税
ライナーノーツ:宮井 章裕
歌詞対訳:佐藤 幸恵

<購入・試聴>
Sandfish Records Shop
http://sandfishrecords.shop-pro.jp/?pid=10706192