【INTERVIEW】秘密のミーニーズ、空白の3年間がもたらした“ゆらぎ”を前に語るもの。

テン年代もクライマックスを迎えようとしている2017年9月13日、若手サイケ・フォーク・バンド「秘密のミーニーズ」が、デビュー作にして“最高傑作”との呼び声高いフルアルバム「イッツ・ノー・シークレット」を遂にリリースする。 12弦ギターやペダルスティール、そしてオープンハーモニー。CSN&Yなどウエストコート・ロックへの最上級の敬意を表しての1stEP「おはなフェスタ」を経ての今作「イッツ・ノー・シークレット」は、リズムセクションやハーモニー、構成や歌詞の力配分、生々しさまでも複雑に絡めながらも、それをシンプルに楽しませてくれたことがとにかく嬉しかった。今回のインタビューでは、本作品についてはもちろんのこと、2014年のフジロック・ルーキー以降、これほどのバンドが何故影を潜めていたのかという疑問についてもたっぷりと語っていただいている。 戦争を知らない僕らの時代のサイケやフォークも、今懸命に生きる僕らのドアを確実にノックしている。いつ何が起きてもおかしく無い今日、この傑作の誕生を祝おう。 取材 ・文・写真 / 田中 サユカ 写真 / 渡辺たもつ(Vocal,Chorus,Guitar,Banjo,Pedal Steel,Mandolin) 菅野みち子(Vocal,Chorus,Guitar) ——前作から3年という月日が経ちましたが、色々とあったそうですね。 渡辺 そうですね。本来だったら月2回くらいでレコーディングができればよかったんですけど、レコーディングを始めた直後に自分が新潟に転勤することが決まって、新幹線代の捻出等に苦労してなかなかできなかったですね、それにベース(相本)も転勤になったり、プライベート面で色々重なった。 ——それは2015年のことですか? 渡辺 そうですね。でもそれもCDを作り始めてからのことで、それまでもメンバーが辞めたりして、一悶着あった。曲は出来ていたので、そういった諸々の事情がなければもっと早く出せていましたね。 ——存続するかしないか、にまで? 菅野 (渡辺)たもつさんが新潟に転勤になるくらいの時にありましたね。 渡辺 そうだね。それにもう一人のヴォーカル(淡路)のプライベートの関係で、これまで弾いていたベースを辞めてヴォーカルに専念することになった。彼が辞めちゃうと3声コーラスでなくなる。2声では立ち行かれない。 ——(秘密の)ミーニーズといえば3声っていうイメージですからね。 渡辺 自分たちが勝手に思っているだけかもしれないですけどね(笑)。それに淡路はメインボーカルでもあるので、後任を入れるのも難しい。どうするかな…と悩みましたね。 ——3年という時間はシーンもめまぐるしく変わっていくし、そんな中で個人の心境にも変化があったのではありませんか? 渡辺 これはお恥ずかしい話なんですけど、2014年にフジロックの“ROOKIE A GO GO”という大舞台に立てた時、これを足がかりにして飛躍していくつもりが、なかなか思うように発展できなかった。僕たちはフジロックが目標でもあったし、一度はシーンに認められたという感覚がスルッと抜けていって、メンバーのモチベーションをどこに持っていっていいかがわからなくなりました。地道に続けて行くのも良いと思うんですけど、そういったところでも意識のズレが生じたんです。 菅野 それでドラムの子も劇的にモチベーションが下がってしまって、そういう雰囲気が練習にも出てしまった。結局ドラムの子は辞めてしまって、新しくベース(相本)とドラム(高橋)が入ったんです。 渡辺 彼のラストが2014年の10月にあった池袋のライブ。その後すぐに新しいドラム(高橋)が入ってくれた。彼は慶応大学の「でらしね音楽企画」っていう、60、70年代ロック中心のサークルでドラムを叩いていて、共通の知り合いを通して知り合ったんですよね。すごく良いドラムを叩くヤツで、思い切って声をかけてみたら、思ったよりもずっとミーニーズの音にマッチした。 渡辺 というのも、前のドラムは技術的にも多才なヤツだったので、内心は「前のようにはならないだろうな」と心配もあったんですけど、(彼のドラムで)また全然違う方向性を見いだすことができた。アイツ(高橋)がいなかったらバンドの存続は難しかっただろうな、というくらい助けられました。 菅野 以前はパワフルでロックテイストだったかな、と思うんですけど、彼(高橋)はすごく柔軟性があるというか… 渡辺 (高橋は)すごく歌に寄り添うプレイをしてくれる。特に 菅野の作る曲に合うドラムを叩いてくれるよね。以前はまとまらなくてお蔵入りする曲も多かったんですけど、今はそのままライブで演れるところまで持っていけることが多くなった。それはベースの相本に関しても同じで、だから、みっちゃん(菅野)の作る曲に関しては、結構相本・高橋両氏に助けられている部分があるんじゃないかな。 ——「イッツ・ノー・シークレット」は、その新メンバーが加わって初のアルバムということでもありますね。今作の特徴としては、リズムセクションの幅広さは外せないと思うのですが、ゲストも招いたと? 渡辺 そうですね。今回はキーボードとパーカッションでお招きしました。パーカッションを演ってくれたのは僕の古い友人(高田慎平)で、ASA-CHANGにパーカッション(タブラ)を習ったり、リズム楽器にすごく造詣の深い人。彼に入ってもらったら面白くなるんじゃないかと思ってお願いしましたね。 キーボードの藤木(晃史)くんは、以前ライブで誘ってくれたバンド(芝居小屋)のピアニストで、彼の弾くピアノが好きだったし、昔の西海岸のロックってピアノが入ることが多い。そういう憧れもあって彼に弾いてもらいました。 ——前作はその西海岸のテイスト、つまり皆さんの憧れやそれによって培ってきたものを完全密封された作品、が逆に新鮮に映りました。今作は自分たちのバンドの表現作品として、整理して緻密に組み立てられた完全なるオリジナル作品だと感じましたね。1stアルバムにして、またバンドの代表作として説得力のある作品だと思いました。 渡辺 そうですね。前作は西海岸っていうフォーマットがあって、その手習いの範疇を大きく超えるものではなかったかもしれない。こういう音楽をあんまりやっている人がいなかったこともあって、コンセプトが優先されていたこともあった。 今回は菅野の作る曲が増えたから、手習い的なところを大きく広げることができた。菅野のヴォーカルも4曲。僕らはコンセプトありきで考えちゃう節があるけど、菅野はちゃんと自分の曲を書くシンガーソングライターなので、菅野の力に随分助けられましたね。 菅野 このバンドに入って、60〜70年代の音楽の影響を自然と受けるようになって、作る曲もみんなの好みに合うような曲を書くようになりました。歌っている声もちょっと渋めになってきたのかな。自分でも気づかないうちにそういう変化がありましたね。 ——今作の菅野さんのヴォーカルの引き出しが増えたのにもびっくりしますよね。無意識に変わっていったと言うけれど、自在に使い分けている? 菅野 Fairport Conventionとかをみんなで色々とカバーした時に、自然と影響されているのかな。 渡辺 今思えば、これまで菅野も窮屈だったと思うんですよね。知らずのうちに僕らが「こうあるべきだ」と言うところに押し込めようとしていた。でも菅野は自分のカラーを持っているから、菅野が僕らに合わせてくれていたんだと思うんです。さっきのFairport Conventionとかも、そう言うところからも自分の色として取り入れようとしてくれていたんですよね。 渡辺 だんだん僕らの視野も広がっていって、ガッチガチの60~70年代よりは、例えばWILCOとかの2000年代オルタナカントリーも青木さんの紹介で聴くようになった。お互いのストライクゾーンがやっとうまく混ざり合ってきたんじゃないですかね。 ——音楽的にしっかりと打ち解けたんですね。本来のスタート地点に立てた。 渡辺 それに、新しいメンバー(高橋と相本)は年下なので、菅野はイメージを伝えやすくなったんじゃないかな。前はみんな同期だし、すごく菅野は遠慮していた気がする。だから人間関係的にもより打ち解けた気がしますね。 菅野 (バンドを始めて)もう5年くらい経つんだね。確かに最初はお互いに言い合えない感じもあったんですけど、音楽関係のことに関してはあまり気にせず言えるようになりましたね。 ——良いチームですよね。そして本当に素敵なリーダーだ。 渡辺 メンバーが増えたから一歩引かないとアンサンブルが過剰になっちゃうところある。それでみんな一歩引くことを覚えたね。昔はクリームのインプロ合戦みたいにガンガン演っていたけどね(笑)。 菅野 そうだね、みんながそれぞれバンドの一部として考えるようになったのかもね。足し算というよりは引き算ができるようになったね。 一同笑 渡辺 クリームのメンバーも解散後はエゴを剥き出しの時期を経て溶け込むのが楽しいっていう時期を迎える。そう考えると僕らもある意味ロックの歴史を辿っているのかな(笑)。 ——今まさに話題に出たクリームなどの60-70年代のロックファンには馴染み深いであろう、インプロビゼーションが今回はインストとして3曲も収録されていますね。作品として収録するのはバンドとしても初めての試みですね。 …