2018
06.27

世界の音楽を読むーアルゼンチンタンゴは哀しみの香り

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ワールドカップ・サッカーが熱く開催されていますね。日本代表がコロンビアに勝った瞬間は、思わず絶叫してしまいました!コロンビアどころか、メッシ擁するアルゼンチンもクロアチアにまさかの敗退、負けたコロンビアもアルゼンチンも国民あげての落胆ぶりだったそうです。さすがラテン・アメリカのサッカー熱!

ラテン・アメリカといえば、ブラジルのサンバやボサノヴァ、アルゼンチンのタンゴあたりは世界的に有名ですね。今回はアルゼンチン・タンゴを アルゼンチンの歴史と合わせて紹介させてください。

 

 


アルゼンチンはスペイン植民地だった!


ラテン・アメリカの歴史を大雑把に眺めると、15世紀末のコロンブス新大陸上陸以降の征服と植民地社会の形成、そしてそこからの独立の歴史という事になるでしょう。そうした動きの中で、アルゼンチンはスペインによる植民地化が遅れた地域でした。スペイン統治下では激しく抵抗し、独立戦争時には各都市の衝突する内戦状態が続きます。そんな政情不安定なアルゼンチンが国家統一を目指すようになったきっかけは、隣国ブラジルとの争い(ブラジル戦争:1825-28年)だと言われています。これで、国としてまとまる必要が生まれたのです。

アルゼンチンが現在の形での国家統一を果たしたのは1861年で、現在の首都ブエノスアイレスが中心となりました。この時にブエノスアイレスは西洋化を進める政策を取り、ヨーロッパからの移民を多く受け入れ、アルゼンチン社会は白人化してきました。サッカーのワールドカップで、メッシをはじめとしたアルゼンチン代表の選手に白い肌の人が目立つのはそのためで、現在のアルゼンチンはヨーロッパ系白人が8割強の社会となっているようです。

 

 


タンゴは移民の哀愁が染み付いている!?


アルゼンチンの成立年は1861年、割と最近ですね。現在アルゼンチンに住んでいる人は、それをどのように感じているのでしょうか。日本に住んでいると無意識のうちにも自分の祖先が何百年、何千年とここに生きている感覚を覚えますが、アルゼンチンのヨーロッパ系の人々はそうではないようで、ヨーロッパ移民であるという感情が今も強く残っているようです。そうした感情が色濃くあらわれたのが、タンゴという音楽の始まりでした。

タンゴはアルゼンチンというよりも、ブエノスアイレスの音楽と言った方がしっくりくるようです。ブエノスアイレスはヨーロッパ移民社会として成立しましたが、特にイタリア系移民を多く受け入れました。「母をたずねて三千里」というアニメは、まさにアルゼンチンのイタリア系移民の物語なんです! 港湾都市ブエノスには、船乗りを通じてキューバ島などから音楽が持ち込まれ、またイタリア移民が本国からヨーロッパ音楽を持ち込みました。タンゴが生まれたのは娼家と言われており、ここでカップルダンスが行われる際に、中南米から持ち込まれたハバネラミロンガといったリズムと、ヨーロッパ音楽が融合しました。こうしてタンゴは、南米音楽のリズムと西洋音楽のメロディや和音を持つダンス音楽となりました。それが哀愁ある音楽でありつづける背景には、ヨーロッパから放逐された移民という哀しみがあるのかも知れませんね。

 

 


タンゴの神様、カルロス・ガルデル


初期のタンゴ音楽家で有名なのは、なんといっても「タンゴの神様」の異名をとるカルロス・ガルデル!彼が歌った曲の多くが、今もタンゴの重要なレパートリーとして残っています。「nostálgia」「buenos aires」といった、当時のブエノス社会に住む人の心情がダイレクトに歌われた歌も残っています。

 

 

 

大衆音楽から芸術音楽や演奏会用音楽へとタンゴを音楽的に発展させた立役者として、作曲家/バンドネオン奏者のアストル・ピアソラも外せません!タンゴ独特の哀愁を残す「Oblivion」や、自分の父の死に捧げた「Adios Nonino」は、現在ではジャンルを超えた名曲となっています。

 

 

 

個人的推しはモサリーニです。例えば「Lo que vendrá(来たるべきもの)」は、ポスト・ピアソラを感じさせる名演でした!!

日本人アーティストでは、現地アルゼンチンでタンゴを学んだ音楽家をオススメしたいと思います。90年代の小松亮太の出現を筆頭に、以降は喜多直毅北村聡青木菜穂子といった面々が活躍していますね。東京のエル・チョクロや、盛岡の老舗アンサンブルといったライブスペースでは、本格的なタンゴを生で聴く事が出来る大人のライブスポットとなっていますので、是非足をお運んでみてください。

監修=広瀬あつし